「われわれはどのような経済社会を目指しているのでしょうか」。
はじめに,社会保障の問題から考えてみます。
1970年代から「福祉国家」と「福祉社会」という2つの言葉が行き交ってきました。
「福祉国家」を構築するというのは,行政システムの責任と役割として「完全雇用」をめざし,さらに「経済成長」を実現し,市場の失敗には社会保障を通じて生活保障を約束する,という構想です。
しかし,国家財政の破産と画一的な行政サービスでは行き届かない社会的課題が認知されるなか,70年代末から「福祉社会」が提唱され始めました。そこでは,地域コミュニティのなかでのさまざまなボランティア・グループやNPOなどに期待が集まっています。とくに95年の阪神大震災の経験(ボランティア革命といわれるほど多くのボランティアが被災者を救済しました),その実績に勇気づけられて,「福祉社会」のイメージが膨らみ,コミュニティのなかで,安い費用で,多様な必要性(ニード)にきめ細かく対処する役割が期待されるようになってきたわけです。
今,年金や医療保険,介護保険は,「いつまで持続可能なのか」。これらの制度を維持するために消費税の増税を含めて「今後どれくらいの負担増加が必要となるのか」が問題になっています。
2009年度ですでに年金給付総額は50兆3000億円になり,後期高齢者の医療費だけで10兆4273億円,介護保障に約8兆円も投入する,これに対して,2011年度の国の一般会計における文教予算は5兆5千億円にすぎません。子ども手当や保育園の増設を加えてみても,世代間のバランスを大きく欠いた再分配になっています。
さらに,高齢者の生活保障に莫大な再分配を行いながら「まだ施設が足らない」との声が上がり,一人暮らしの高齢者の孤独や孤立が社会問題として取り上げられます。
他方,若者の3人にひとりが「不安定就労」を余儀なくされ,実質賃金の低下が観測されています。
また,NHKの取材と報道を通じて,2010年頃から「無縁社会」という社会問題も明らかにされてきました。豊かになったはずの経済社会で孤独や孤立感にさいなまれる問題です。自殺や孤立死,その原因とされる精神疾患(境界性気分障害),失業問題,家族との絶縁などが,社会全体に広がっていることがわかってきたのです。
このような状況をみると,何か基本的なところで経済社会の在り方・考え方が間違っているのではないかと思います。あらゆる問題がパラドキシカルに見えてきます。
(1)充実した社会保障制度が完備されてきたはずなのに,その恩恵にあずかる人は明らかに偏っています。
(2)携帯電話は社会全体に広がっているのに,友達がいない若者が増え,孤独や孤立が社会的な病理現象といえるまで深刻化しています。
(3)衣食住はそろっていて(食糧は捨てるほど輸入しながら)結婚や子育てをする余裕がないのはなぜでしょうか。等々。
経済社会学の目的は,上で書いたようなさまざまな「社会問題」の原因を「経済社会全体の構造と原理」を考えながら明らかにすることです。
①資本制経済の構造とその力学がもたらす問題を再認識しなおすこと。
グローバリゼーション,金融市場(マネー資本主義),資源・環境問題にどのような歯止めが必要かを真剣に考える必要があります。
②「福祉国家」の役割とその限界を再検討すること。
社会保障制度の考え方を根本的に見直す必要があります。
③「生きもの」として人間の本質を捉え直し,家族と地域のコミュニティを再構築すること。
少なくとも,これらの3つの柱を掲げて「経済社会全体の質的・構造的な分析」に取り組むことが重要な時代だと思うのです。
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