2011年12月31日土曜日

2011お餅つき

12月30日に恒例の餅つきを行いました。
2011年餅つきの写真

2011年11月7日月曜日

2011年カンボジアへの調査旅行

2011年11月1日から6日にかけて,カンボジア,プノンペン,シアヌークビル,シムリアップへの調査旅行を実施しました。今回の調査は,兵庫県多可町の池田義孝さんがコーディネートしてくださり,参加者は8名でした。今回の調査旅行では,LOCOMO GROUP CO.,LTDの藤本裕宇さんにガイドをお願いし,プノンペンからシアヌークビルをご案内していただきました。

 ロコモコーポレーション(藤本さん)

11月1日(火)の朝に出国,夕刻にプノンペンに到着。
11月2日(水)プノンペン経済特区の視察,上松祐士さんから説明を受けました。
そのあと,シアヌークビル市へ移動し,建設中の経済特区を視察。日本のODAによる開発の説明を受けました。いずれの経済特区も日本のODAによって開発が進められ,2011年から12年にかけて多数の日系企業の進出が予定されつつあります。
シアヌークビル港の経済特区についてはまだ日系企業の契約が成立していません。ODAによる円借款を返済するため,土地利用料金が他の地域と比較して高くなっているからだとのことでした。経済特区以外でも工業用地の契約は可能ですが,経済特区であるからこそ,税制,輸出入の手続きが簡便化されており,電気や上下水の完備もあります。
シアヌークビル港経済特区

11月3日(木)には,再びプノンペンへ移動し,まず,Cambodia-Japan-Business-School,NGOを訪問しました。ここでは,代表の土居清美さんと学生の皆さんと話をすることができました。土居さんは,カンボジアの若者から問われても答えに窮する問題として,「日本はとても豊かな国であるはずなのに,どうして自殺者が多いのか」,この問いに答えてやってほしいと投げかけられました。
私は,「日本が社会全体として経済的な豊かさが実現できたことは事実だが,逆に個人にとっては経済的自立が強いられるようになったこと,あらゆるものがお金で購入できるために家族や友達に頼ることがはばかられるようになり,日本の人びとは“孤立化”してしまった。ひとりでなんでも乗り越えなければならないというプレッシャーが孤独な一人ひとりを追い込んでいる。だから自殺が増えているのだと思います」,このように応えました。

  その後,カンボジア経済評議会を訪問し,JICAの今村氏から懇切な説明を受けました。そして,夜にはJETROの道法氏を招いて,ヒアリングを実施しました。
カンボジアの人件費は,月給70~80ドル,タイの200ドル,ベトナムの130ドルと比較しても半額近く,きわめて安いことが工業立地のメリットです。
治安も安定しています。他の東南アジアとは異なり,物乞いをする子どもはほとんどいません。「いちば」では気さくで陽気な人たちと心を通わせることもできました。

11月4日(金),トゥール・スレン博物館でポルポト内戦時代に凄惨を極めた収容所を見学しました。1975年から79年の間にカンボジア人口の4分の1が殺戮されています。
子どもが自分の両親家族を殺す,密告による殺し合い,人びとの間には互いへの不信感と猜疑心が蔓延し,その傷はまだカンボジア社会のなかに残っているのではないでしょうか。ポルポト時代を知らない若者は無垢に見えますが,その歴史的な総括はまだ十分であるとは思えません。

11月5日(土)は,シムリアップで,アンコール遺跡群を観光しました。


11月2日,プノンペン経済特区 


プノンペン経済特区で上松氏からその特徴を説明していただきました。
すでに味の素が操業を開始し,ヤマハも工場建設します。



移動中にであった農村の人たち



シアヌークビル港経済特区でのヒアリング調査


11月3日,NGO「カンボジア‐日本‐ビジネススクール」の学生たちは純朴,無垢な若者たちばかりです。
日本への憧れを抱いて,毎日,200名あまりの学生が働きながら勉強しています。


私たちは授業に参加して,代表の土居さんからカンボジアの教育や日本企業への期待について話をうかがいました。


カンボジア経済開発評議会


JICAの今村氏(写真中央)は,長年カンボジアの経済開発に携わってこられたツワモノ。
忌憚のないご意見を聞かせていただきながら,この人があれば,カンボジアでの日本企業の成功は間違いないと感じました。 


11月4日,ポルポト政権時代,凄惨を極めた内戦,その収容施設であったトゥール・スレン博物館を見学。
Mr.Chum Meyは,収容所で生き残った4人のうちの1人です。私たちが見学していると幸運にも偶然,お出会いできて,短い時間でしたがお話を聞くことができました。



ロシア市場で,美味しいコーヒー店に入り,フルーツの王様ドリアンを食べました。
ドリアンは前日に買ってきていたものですが,ホテルに無理に頼んで保管してもらい,この市場でやっと食べることができました。

11月5日 アンコール遺跡群の1つ,タ・プロームとアンコールワット,アンコールトムを観光しました。
12世紀から13世紀にかけての遺跡群は当時の繁栄を物語っていますが,今ではガジュマルの樹木が覆い茂り遺跡の崩落が目立ちます。


水辺に映るアンコールワットで記念撮影


夕日を見ながらしばらく瞑想にふけってこの旅は終了です。




2011年9月27日火曜日


2011年9月24日から25日に稲刈り合宿を実施しました。
 24日は青位養鶏所から5羽の鶏を頂いて,鶏さばき そして黒田庄牛のバーベキューパーティー

 25日 午前8時半から稲刈り,午後に稲木干しを完成させました。


最後の集合写真です。左端の方は八千代区柳山寺の木畑さん(87歳)












すべての写真をご覧になりたい方は下記のサイトへ

2011年8月20日土曜日

多可町夏祭りへの参加

 2011年8月15日,兵庫県多可郡多可町観音寺集落の皆さんと一緒に「多可町夏祭り」に参加しました。学生流まちづくりプロジェクト「木の家」の10名と藤岡ゼミ4回生3名が播州織の浴衣を着ての盆踊りです。

  盆踊りの練習風景
  「なたねの菜っちゃん」は,観音寺集落,杉原集落,箸荷集落の有機農法による菜種栽培で取り組んでいるまちおこしの登録商品です。この旗を掲げて盆踊りに参加します。



 多可町夏祭りの花火

2011年7月11日月曜日

兵庫県多可町観音寺集落と神戸大学生

 2010年夏から私のゼミ生である山崎君を中心に「学生流まちづくりプロジェクト」が始まりました。兵庫県多可町加美区観音寺集落の役員の皆さん,永井良昌区長さんとともに菜種油「菜ちゃん」の販売を手伝い,この夏から共有林にログハウスを建設します。





7月16日(土),17日(日),18日(祝)に基礎工事が始まります。
ログハウスの建設とむらづくりに参加してくださる方にはぜひご連絡をお願いします。

 
 

2011年5月8日日曜日

感動のライプチヒ

 1989年,ライプチヒのニコライ教会で始まった自由と民主化をもとめるデモ行進,これがベルリンの壁を崩壊させ,のちの東欧革命へと広がるきっかけとなったことは多くの人に知られています。
 そのニコライ教会へ参りました。

 5月3日(火)19時,ライプチヒ中央駅に到着

 中央駅はベルリンよりも早くにリニューアルされ,きれいなショッピングモールもあります。
 これがニコライ教会です。ここから自由と民主化をもとめる運動が始まったのです。ニコライ教会は東ドイツの時代から,自由と民主化をもとめる運動を積み重ねてきていたことを忘れてはなりません。ここでたくさんの資料を入手しました。
 若きゲーテ像です。
 M.ルター,ゲーテ,森鴎外などたくさんの文化人が通った,アウアー・バッハス・ケラー(酒場)です。
 古いドームと建設用のクレーンが今のライプチヒの様子を象徴していました。

 5月4日にニコライ教会の中を見学,ここにある書店で資料を購入しました。



 「現代史フォーラム」は,1945年から1989年までの東ドイツでの生活,政治,文化を整理した資料を展示しています。東欧革命を体験した人のインタビュービデオも見ることができます。
 
 私はライプチヒ大学の近くにある古本屋と新しい書店の虜になりました。書店では多くの学生や教員がテーブルの上に本を並べて,「ノートを取りながら勉強している」のです。印刷業が最初に栄えた町,本の町,という印象を受けました。書籍の品ぞろえは見事です。およそ3時間余り,私は書店でさまざまな文献に目を通すことができました。次回,留学するのであれば,ライプチヒ大学です。

 フランクフルト,ベルリン,ケルン,ハイデルベルクといろいろな町を訪問しました。私はライプチヒがもっとも素敵な町だと思います。町には何か不思議な凛とした空気が漂っています。たしかにほかの都市と同様に外国人も多数います。ロシア人,トルコ人など,いろいろです。しかし,幾筋の通りを歩きましたが,フランクフルトのような,また,ケルンやベルリンのような問題を感じることはありません。フランクフルトの場合,3人に1人が外国人になっています。ケルンもそうです。治安は悪く,すりや強盗に合いかねない地域が少なくありません。でもライプチヒの人びとの表情は何か違います。ライプチヒの人びとの表情からは盗み見るような猜疑心は感じられませんでした。物乞いをする人も確かにいますが,数が少ないのでさほど目立ちません。
 やはり,ニコライ教会が町の中心であり,コミュニティの核となっています。明らかにニコライ教会の発するムードが町全体に染み込んでいるように思えるのです。でも,これから10年後がどうなっているかが心配です。町のリニューアル工事が一巡すれば,また景気が悪くなり,雇用が減るでしょう。
 ニコライ教会ではこのことも視野に入れた町づくり計画に民間企業と行政と共に取り組んでいます。新しいキーワードは「エネルギーと環境」です。太陽光発電の普及,風力発電の利用可能性の検討を新たな町づくりのテーマとして,雇用の創出のために検討しているようです。