2013年8月1日木曜日

「キューポラのある街」(1962年:浦山桐郎監督,吉永小百合)

 2013730日,インターネットで偶然,この映画と再会した。
 名作「キューポラのある街」は,鋳物工場の街を舞台に,貧しい鋳物職人の長女,ジュン(中学3年生:吉永小百合)を主人公として,彼女の県立高校進学への憧れと現実の生活困難を描いている。ジュンの弟と朝鮮人の友達の悪ふざけ,「牛乳泥棒のシーン」でも,貧しい者同士の悲哀が描かれ,この時代に生まれ育った1人としてほろ苦い懐かしさを感じる。さて,ここでは久しぶりに「キューポラのある街」を観ながら,21世紀の今の時代に,私が改めて考えさせられたことを綴ってみたい。
 映画が公開された1962年に,私は生まれ,高度経済成長の時期を通じて育ってきた。だから,ここに描かれている出来事や生活感は,自分自身の体験とも重なっている。この貧しい時代を子どもの頃に多少とも経験したので,映画の生活風景には懐かしさを覚えるわけである。同時に,ここに描かれている生活から育まれた,当時の人間観,社会観についても,身体の芯の部分でその切なさを感じとれる気がする。
 主人公の父親は「古いタイプの職人」であったが,古い鋳物工場の淘汰と共に失業し,酒とバクチで堕落する。しかし,映画の終盤では,労働組合の支援により「金属労働者の1人」として再就職がかなうことになる。こうした浮き沈みの変化が避けられない時代であったし,それは「近代化・産業化の理(ことわり)」でもある。
 そして,「キューポラのある街」は,近代化・産業化の進展にともなう厳しい生活の変化と,お互いに助け合い,支えあうための労働組合の大切さを伝えている。労働組合の目的は,同じ立場の者同士が協力して,とくに雇主との鍔迫り合いのなかで,「自分たちの仕事と生活を守るための『正義』を権利として獲得すること」にある。
 つまり,この映画には,労働者の仕事と生活を守るために組合に参加することの意味。それこそが「働く仲間の社会的前進」に結びつくという思想が根底に据えられている。しかし,現実には,労働者の間にも「厳しい競争」がある。高度な技術,高い能力を身につけることで,安定した地位と,より高い所得を獲得すること,「個人的な利益」を追求することも生きるための「したたかな戦略」である。だから,労働者にとって,同じ境遇の「仲間との連帯,助け合い」と,自らの「個人的な利益」のどちらを優先するかは重要な人生選択となる。通常は,仲間を配慮するような余裕はなく,自分のことで精一杯の労働に疲れ果てるケースの方が多い。ましてや,いつの時代の若者にとっても,まずは自分自身の才能と可能性を試したいと考えて,より高い能力の獲得(県立高校)へと突っ走るのが自然であろう。
 しかし,「キューポラのある街」の結論部分では,こうした葛藤には触れることはなく,主人公は中学を卒業後には「紡績工場への就職」を決意する。このとき,彼女は担任教師の励ましの言葉を唱えている。
 「1人が5歩前進するよりも,10人が1歩ずつ前進する方がいい」,つまり,紡績工場で多くの女工たちと一緒に働き,夜間高校に通い,「仲間」と歩む決意がここに込められている。こうした1960年代の世相が作り上げた,この映画そのものが,大衆的な理想像となったのである。そして,ここから,この映画が1970年代までの労働組合運動,社会運動のプロバガンダとされてきた意味も分かる。

 だが,現実の市場経済では,その「正反対の力学」が作用してきた。つまり,世間一般には「1人が5歩前進する」ことが目指されてきた。これを良心的に解釈するならば,「未来の10人の生活を改善するために」,自らが1人の優れた人材として成功することの方が「確実で,現実的だ」という感覚であり,その根底には,「故郷に錦を飾る」という日本人的な野心もあるだろう。
 例えば,家族の中から出世頭を育てることができれば,家族全体がその恩恵に預かることができるかもしれない。そして,日本では,高度経済成長期を通じて「学歴社会」が形成されてきた。もちろん,大学卒業の学歴を得たところで,必ずしも「成功」とはいえないが,せめて自分の子どもや孫の世代には,より豊かになるチャンスが生まれるかもしれない。そうした淡い期待を背景に,学歴社会をめぐる受験競争が広がってきたのではないだろうか。
 「キューポラのある街」ではこのような展開は描かれてはいないが,1970年代から80年代には,「学歴格差」が「経済格差」として観察されてくる。「製造業を支える労働者」と,「営業職,管理職の椅子に座る大学卒」との経済格差が実感される中で,高等教育の内容も「工業科,商業科」などの専門職教育から「普通科」への転換が急速に進んできた。
 少し結論を急ぐことになるが,21世紀初頭に,約半数の若者が大学に進学する時代となると,もはや大学卒の学歴は,労働市場での優位性を証明することに役立たなくなった。「こんなはずではなかった,何のために高い学費を払ってきたのだ」という親子共々の挫折,落胆,失望が広がりつつある時代になってしまったのである。ちなみに,2012年の大卒,559千人のうち就職も進学もしていない若者は86千人にのぼる。
 かかる意味合いを考えつつ,再び「キューポラのある街」のメッセージを思い出したい。
 「1人が5歩前進するよりも,10人が1歩ずつ前進する方がいい」
「豊かさ」とは何かを見つめ直しながら,この言葉の意味を今一度考えてみる必要があるのではないだろうか。

2013年7月31日水曜日

兵庫県香美町(小代区)のまちづくり調査

 2013728日に,兵庫県香美町にゼミ学生4名を同伴して訪問調査を実施した。今回の調査旅行には,(1)農産物の加工・販売を通じた農業の「6次産業化」による地域振興への効果を研究する院生と,(2)地域の若年者の雇用創出につながる事業振興について研究する院生も同伴している。

 訪問調査の前に,香美町の人口動態と産業統計から,ここ数年の変化を把握してみた。まず,香美町の人口は,平成22年現在,19,696人であり,過去10年余りにわたって毎年200300人以上の人口減少が続いている。世帯数も毎年150180世帯の減少が見られ,平成22年現在で6,449世帯となっている。人口動態の内容を見ても,「自然的動態(出生と死亡)」「社会的動態(転入・転出)」ともに平成12年以降マイナスが続いている。
 兵庫県下にある多自然地域の中でも,香美町では,人口減少と高齢化(65歳以上人口:31.9%)が急速に進み,平成12年頃からさらに加速度的に人口減少が進んでいる。これには産業構造の変化が大きく影響していることから,今回の訪問調査では,次の3つの視点を踏まえてヒアリングを行う方針を立てた。

1.第1次,第2次産業の急速な衰退
 香美町の産業別就業者数の推移を見ると,この20年余りの間に第1次産業の就業者数は,2,853人から1,108人へ半数以下となった。なかでも農業の就業者数は半数以下に減少している。(平成2年:2,853人⇒平成22年:1,108人),漁業も約半数(641人⇒315人)。林業は平成22年時点で53名と,過去10年に変化がない。
より重要な変化は,第2次産業,わけても「製造業」の衰退である。平成2年の3,398人から平成22年には1,828人へと1,570人も減少している。
 
2.第3次産業:観光事業の頭打ち
 海と山の豊かな自然に恵まれた香美町には,年間の観光者数が130万人にのぼる。しかし,これまで安定していた観光事業もここ数年は頭打ちの状況にある。第3次産業の町内総生産は,平成14年に494億円から,平成21年には469億円と徐々に低下してきている。

3.但馬牛の繁殖雌牛
「但馬牛は肉質に関する優れた遺伝能力を持ち,『神戸ビーフ』『松阪牛』『近江牛』等全国のブランド牛肉の肥育素牛の主要部分を占める」[1]
 香美町では,繁殖雌牛の飼育事業が多いが,肉牛としての肥育も行われている。農家戸数は減少傾向であるが,飼育頭数はここ数年で1,200頭を超えて増加傾向にある。

「道の駅」
 728日(日)午前7時に多可町八千代区を出発。920分,「道の駅:ハチ北」に到着,農産物の直売ならび土産物を見ながら,店の方に地域の農業についてお尋ねした。
 農作物の直売には,この時間帯にいろいろな夏野菜が持ち込まれてきた。日曜日ともあって,トマト,なすび,キュウリからキャベツ,ジャガイモなど,新鮮で形の良いものが非常に安い価格で並べられている。
 お土産物として地域の特産物を探してみると,とちのみを使った饅頭やお菓子の類などの品数は豊富である。ただし,お菓子の多くは,材料を四国や姫路など関西圏の食品加工業者に委託して加工しているものが少なくない。
 地元で製造された商品として目を引いたのは,美方製麺所のそば,常盤商事株式会社の醤油とお酢などの発酵食品,「へしこ」,香美町村岡区の「野いちごグループ」による「矢田川みそ」である。
 「村岡ファームガーデン」(道の駅)にも立ち寄った。但馬牛の精肉店とレストラン,土産物を視察させて頂いた。が,残念ながら,但馬牛そのものが世界最高級の牛肉であるとしても,牛肉饅頭,但馬牛の時雨煮,カレーやラーメンなどの価格帯は高すぎるとの印象を受ける。レストランのメニューも残念ながら食欲を誘うようなものではなく,ただ「やはり但馬牛は高価なのだ」という印象である。また,さまざまな加工食品には,販売者として「株式会社むらおか振興公社」の表示があるが,地元で加工されたものかどうかは判らなかった。



 われわれは,午前940分頃に香美町小代区にある温泉「オジロン」に到着した。
 旧美方町の上田節郎町長,漁協の井口護氏,博士後期課程の吉田さんのお母様,そして,料理旅館からスッポン・チョウザメの養殖まで手掛ける邊見八郎氏に,香美町小代区のまちづくりについてお話を聞くことができた。
 
上田畜産の牛舎を見学


「日本の棚田100選」にふさわしい景色

滝見亭で山菜・川魚料理を御馳走になりました。
アマゴの刺身,アユの塩焼きは最高。



邊見さんのチョウザメ


「小代区の地場産業」
 豊岡市を中心として,この地域は「鞄」の製造業が盛んな地域である。香美町小代区(旧美方町)にも,かつてはカバンの縫製業の下請け工場がたくさんあった。が,この20年余りの間に衰退したのは,この縫製業であるという。土木建築業もバブルの崩壊後に大幅に事業が縮小し,これらに代わる製造業が育っていないために,香美町の第2次産業の雇用が著しく減少したわけである。
 1981年から三井金属工業が「真珠岩パーライト(鉱物)」の本格的な採掘を始めている。このパーライトの採掘と運搬にかかわる雇用が生まれている。素人の発想であるが,真珠岩パーライトは建築用材料から洗剤まで多様な用途に加工利用が可能であり,そうした加工製品を製造する事業を立ち上げることも可能ではないかと思われる。しかし,現時点ではそうした構想はないという。

「スッポンとチョウザメ」
 邊見八郎氏は,小代区でスッポンの養殖と,チョウザメの養殖も事業化に取り組んでいる,実にバイタリティあふれる実業家である。スッポンは30数年の実績を重ねて,すでに香美町小代区のベンチャービジネスの成功事例である。邊見氏は,チョウザメからフレッシュ・キャビアを採取し,さらにチョウザメの醤油を開発するなど,常に新たな事業化に挑戦されている。
 チョウザメは「淡水」でも養殖ができる,摩訶不思議な「古代魚」である。その卵は塩漬けにされて,世界の珍味「キャビア」となる。
 今回の調査訪問で,私は初めてチョウザメの養殖をみることができた。現在,邊見氏の養殖場では,約500匹のチョウザメが養殖されている。ただし,チョウザメの養殖期間は10年以上におよぶため,これを雇用拡大につながるような事業にするには,現在の規模の数倍から十数倍の設備が必要である。
 というのは,養殖事業の人員についても,現在の規模では,邊見社長と手馴れた人が23人いるだけで,スッポンとチョウザメの両方の世話をみることができている。今後,養殖事業を「地域の雇用創出」に結びつけるには,今の規模の数倍,少なくとも数千匹のスッポンを養殖する設備と,スッポン関連商品の開発,加工施設の整備まで,一連の事業化が必要である。いずれも一朝一夕に実現できるものではない。
 ただし,邊見氏の目下の事業は,料理旅館「大平山荘」の経営の一環として取り組まれている。但馬牛のしゃぶしゃぶに加えて,スッポン,チョウザメの料理は,料理旅館としての魅力をアピールするために十分な効果を発揮しているわけである。

これからの課題
 今回の調査を通じて,香美町が直面している人口減少問題は,第2次産業の衰退による影響が大きく,工業,加工・製造業の衰退がダイレクトに人口減少につながっていることが分かった。観光業を中心とする第3次産業も一定の所得効果をもつが,香美町小代区は山間部に位置していて,今は,スキー場と温泉施設があるだけである。
 ただし,われわれはまだ具体的なまちづくりの施策や今後の可能性を検討するだけの調査を実施できてない。小代区で年間を通じて集客力を高める観光事業を開発すること,チョウザメやスッポンに関連する加工業を育てることなど,まだ検討すべき課題がある。何よりも香美町小代区の自然の豊かさは見事なものである。棚田は「日本の棚田100選」に選ばれる素晴らしい景観を作りだしている。山と川の魅力を活かす事業ができるのではないか。農業の6次産業化,林業の活性化,また,増えつつある「空き家」を滞在施設として活用するなど,政策的に取り組むべき課題もある。次回には,これからの課題を検討するための調査を実施する予定である。



[1] 木伏雅彦(2009):「但馬牛増頭を目指した、繁殖経営指導について」『び~ふキャトル: 国産肉用牛生産の情報誌15号』,全国肉用牛振興基金協会編,p.610。平成1910月には地域団体商標として「神戸ビーフ」「神戸肉」「神戸牛」「但馬牛」「但馬ビーフ」が登録される。

2013年6月30日日曜日

「学生流むらづくりプロジェクト『木の家』」2013年6月末の合宿

 2013年6月29日,30日に「学生流むらづくりプロジェクト『木の家』」が多可町観音寺で新歓パーティーと建設作業を行いました。「木の家」も今では総勢40名を超え,今回の合宿には,新入生8名と14名の22名が参加しました。
 観音寺集落の皆さんには,新入生の歓迎会を催して頂きました。

炭をおこしてバーベキュー



生ビールで乾杯!

観音寺の婦人会の皆さんありがとうございます


新入生の8名です



百日鶏の丸焼き!最高ですね。

 バーベキュー,百日鶏の丸焼き,菜種油「菜ちゃん」と地元野菜で作った「かき揚」,ジャガイモと卵のサラダ,なすびの煮つけ,マロニのサラダ,観音寺のそば粉で打った「ざるそば」,デザートのおはぎ(牡丹餅),そして,ビールサーバーでの生ビールなどなど。
 贅沢なごちそうを頂きました。たいへんありがとうございます。
 そして,「木の家」の学生諸君には,大きなプレッシャーでもあります。これだけの御馳走を頂き,そのご期待に応えなければなりませんね。
 この29日も朝から,「木の家」のメンバーは菜種の選別,林道の整備などで一生懸命に働いてたとのことです。集落の皆さんからもお褒めの言葉を頂きました。立派!立派!







6月30日の作業風景

完成間近のログハウス



本当に良く努力しています,立派!

さて,ログハウスの建設と共に進められている「むらづくり」への貢献も,今年で4年目を迎えました。ログハウスの完成式典を10月に予定しています。
 この3年余りの間に,第1期生のメンバーは卒業し,今は2期生が中心となっています。この春から入部した3期生の皆さんの活躍を観音寺の皆さんと共に心から期待しています。
 今年は,ログハウスを完成させること,秋の菜種祭への参画,大学での活動,神戸市内での活動など盛りだくさんの計画があります。
 大いに創造力を発揮して,どんなことでも楽しみ,感動しながら,いろいろな人と働き,汗を流し,飯を食い,学問を体験と共に吸収することを心がけて参りましょう。
 私も,「木の家」の顧問として,精一杯の応援を続けます。
 
 

2013年5月10日金曜日

兵庫県立粒子線医療センターの見学

 2013年5月7日,大学院ゼミ2名を同伴して,兵庫県立粒子線医療センターへの訪問調査を実施しました。(*記事の下線部に訂正を加えました:5月13日)

兵庫県立粒子線医療センター」の概要
 この施設は,新しい放射線治療である,陽子線と炭素イオン線を使える,まさに,世界最先端の粒子線医療施設です。
 2001年に開設され,延べ治療患者数は5,570人(2013年4月現在),先進医療としては全国トップの実績があります。(2011年度の下半期に1日あたりの患者数は過去最高を記録し,2011年度の治療患者数は,668人でした。その後,患者数の記録を更新し続けています。) 

粒子線医療センターの全貌模型

照射室が並ぶ廊下はいつも静寂
  

「治療費」(混合診療)

 私たちは「混合診療の全面解禁」についての研究を行うために訪問調査に伺ったのですが, ここでは,2005年に高度先進医療(現在は先進医療)の適用を受け,「混合診療」が認められています。(※以下,「先進医療」は混合診療が認められた医療のことです)。
治療回数は,頭頚癌,頭頚底腫瘍ともに26回,肺がん10回,前立腺がん37回と,約2週間から約8週間の治療期間を要します。
 1週間に5回治療を行い,肺がんの場合10回(約2週間),前立腺がんの場合37回(約8週間)の治療期間となります。
 治療費は,がんの種類,治療回数とは関係なく設定されています。
 ただし,肝臓がんだけは,再発リスクが高いため,照射治療費は半額に設定されているとのことでした。
 <治療費>
 「先進医療」=粒子線治療科(照射技術料) :2,883,000円
 診察,入院,投薬など健康保険対象は,一部負担(1割から3割負担)

 なお,世帯所得合計が346万円以下の方には,兵庫県による「粒子線治療資金貸付制度」があります。(兵庫県民だけでなく,“国内在住1年以上等”の条件がありますが,すべての人が貸付の対象となります)。
 しかし,実際には,8~9割の患者は「民間生命保険」を使い,そのうちおよそ1割の方が民間生命保険の「先進医療保険」を使って治療を受けています。
 他の“最先端医療”への需要を考え合わせると,「混合診療」が全面的に解禁された場合,さまざまな“最先端医療技術”へのアクセスが増加すると思われます。つまり,最先端医療による治療の可能性を検討する診察の段階から投薬治療までは,「社会保険」が使えるため,“最先端医療”への敷居が下がります。そして,すでに混合診療が認められている「先進医療」,まだ混合診療の対象となっていない“最先端医療”の部分を対象とする,民間の生命保険への需要がさらに増加することが予測できます。
 他方,現在,粒子線治療についても「社会保険」の対象に組み入るための検討が進められているとのことでした。それには,全国どこにいても同じような治療が受けられることも条件の1つになるでしょう。しかし,国民健康保険,後期高齢者医療制度には,間違いなく大きな財政負担となります。社会保険の給付対象とすべきかについては,医療保険制度の財政問題をふまえた議論が不可欠です。
 

 <粒子線医療センターの建設費>

 施設建設費:280億円(兵庫県起債:246億円,文部科学省から国庫補助金30億円),建設費の約9割が,兵庫県の起債によるものです。
平成22年度(2010年)に事業経営は黒字化,全国,海外からも患者が集まっています。

 「先進医療」への投資コストが,技術進歩とともに低下してくれば,いずれは社会保険の対象に組み入れていくことが可能になるでしょう。「先進医療」が認められ,優れた治療効果のある技術が,広く誰にでも提供されることが望ましいと考えるのは当然です。
 しかし,最先端の治療技術の開発を進めるためには,巨額の投資費用を前提とした試行錯誤,医療技術の冒険が必要です。

「設備よりも人材育成」

 訪問調査を通じて,「設備が整えば治療が開始できるというものではないこと」を実感しました。設備に多額の投資が必要であるだけではないのです。むしろ,高度な技術を身につけた人材,常に工夫を重ねて技術を磨く人材こそが,新しい医療技術を創りだしているのです。
例えば,
 「兵庫県粒子線医療センターは,約120件の項目について三菱電機へ提案し,当センターの装置に搭載。そのうち三菱電機が15件の特許取得」。
 「核種(陽子線から炭素イオン線,炭素イオン線から陽子線への)切替時間の大幅な短縮(当初1時間⇒平成24年4月から1分で運用)」
 「陽子線の実照射時間の大幅な短縮(6割短縮)(パルスビームの間隔を1.6秒から1.0秒へ短縮)」 【例】前立腺がんの1回の治療における実照射時間が1分⇒25秒に短縮」(※引用部は当日配布の資料から)
 その他,照射の効率化を実現する各種ソフトウエアの開発を含めて,どれも現場の技術者が開発し続けているからです。

 

照射ベッドの1度の傾きも目視で分かるそうです。

治療室の裏側には巨大な装置

「混合診療」を広く認めていくこと

 「混合診療」を全面的に認めていくべきかどうか,これこそ実証的に研究すべき課題ですから,まだ結論を出せません。しかし,さしあたっては,「先進医療」をはじめ”新しい医療技術”には,民間生命保険の商品を増やすことで対応することが可能です。
 もっとも,「最先端の医療技術」には,さまざまな試みがあります。治療効果がはっきりしないもの,高いリスクのあるものを含めて,それぞれに対応した民間生命保険のメニュー開発にも注目して参りたいと思います。

「新規施設への支援」 

 兵庫県(当時は貝原知事)の先行投資が,今,世界的に高く評価されるに至り,治療成果に注目が集まり,各地で同様の施設建設が検討されています。国内外を問わず,いろいろなところで施設建設が検討されており,技術移転の依頼が多いとお聞きしました。
これに対応するため,平成23年(2011)11月に「株式会社ひょうご粒子線メディカルサポート」が設立されました。
 「国内随一の治療実績の下で蓄積した専門性の高い治療ノウハウと,治療装置メーカー等の民間企業が有する技術力とを組み合わせ,新たに粒子線治療装置を導入する施設に対し,施設のスムーズな立ち上げや安全かつ効率的な治療の実施を支援するため」(5月6日資料より引用)です。

 *出資は:兵庫県80%,以下,三菱電機,横河医療ソリューションズ(株),フジデノロ(株),豊田通商(株),東芝メディカルシステムズ(株)

 初めての訪問調査で,その設備も素晴らしいものでしたが,診療放射線技師,医学物理士の皆さんのお仕事に感動し,亀井事務部長さんの説明にも感銘を受けました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
 
 *この記事は,5月9日に掲載しましたが,その後,粒子線医療センターの亀井了様からご指導を受け,下線部については,加筆訂正を加えました。亀井様には懇切なご指導を賜りましたこと,この場をお借りして御礼申し上げます。
 
 

2013年4月21日日曜日

多可町菜の花祭 2013年4月21日

 4月21日(日)多可町加美区杉原集落で第5回「菜の花祭」が行われました。
 神戸大学からは,「学生流むらづくりプロジェクト『木の家』」が,学生参加者30名をバスで送迎。
 杉原集落,観音寺集落の皆さんと一緒に,「木の家」がお手伝いをして,無農薬・有機栽培の菜種油「菜ちゃん」だけを使った「かき揚げ天ぷらそば」を販売しました。
 菜種油100%の贅沢な「かき揚げ天ぷら」が美味い。そばも風味豊かで良い取り合わせです。
 

雨にたたられましたが,時々の晴れ間もあり,なんとか楽しめました。


多可町産の菜種油と「そば」を使った「かき揚げ天ぷらそば」は美味しかった。

そばを販売する「木の家」 




 神戸大学「奇術クラブ」から2人が手品を披露してくれました。 






「かき揚げ天ぷら」と「木の家」代表,門田君



完成に近づいたログハウスまで登山




  神戸大学からの参加者と「木の家」メンバー3名,総勢33名で記念写真

ログハウスは屋根ができ,窓も手作りで用意されています。
完成まであと少しですが,完成式典は8月です。
今年も元気で自由な人が参加されますことを
心待ちにしています。



 

2013年4月8日月曜日

「子育て,育児の社会化」について


 NHKスペシャル「シリーズ日本新生 仕事と子育て 女のサバイバル 2013」が放映されました。この番組を見ながら考えたことを書いてみたいと思います。201346日放送

 限られた時間の「討論」とはいえ,女性の就労を妨げているのは「中高年の『粘土層』である」(粘土層とは柔軟な考え方が浸透しない,古く頭の固い連中という意味)といった批判,「妊娠を口実に仕事に専念できない女性への批判」など,「働く女性」からの機銃掃射が目立った。番組の最後になって,デーブ・スペクター氏が「専業主婦も素晴らしい仕事をされていることを忘れないでほしい」と補足されたのが唯一の救いである。
 この番組では,「育児の社会化」と「女性の就労」がテーマになっていたようだが,前者の内容についての資料提示がほとんどなかったために,「女性の就労妨げるもの」を摘発するだけの内容に終始していた。
 今,日本の経済社会にとって「子育て,育児の社会化」をどこまで,どのように進めるかが重要な課題であることに言を俟たない。ドイツ,フランスの諸制度から学ぶべきことがたくさんある。しかし,厚労省は過去20年以上にわたって「育児支援」を掲げながら,いまだに保育所整備の問題に四苦八苦しているだけである。
 日本の社会保障において「子育ての費用」を社会化(社会的に支援)する政策は余りにも貧弱と言わざるをえない。産休をとる場合の「出産手当金」は正規雇用に限られ,母子家庭への「児童扶養手当」は厳しい所得制限がかけられており,それもドイツやフランスで一般家庭が受け取る「児童手当」と比較してみれば決して多いとは言えない。さらに,共働き家庭のための保育所整備への国庫負担は「私立保育所」に限られている。日本の一般家庭への「児童手当」(月額1万円程度)を含めて,そこに費やされる公的資金は,すべての費用を足し合わせても,介護保険給付の半分(4兆円)にも満たない。
 また,公立高校の授業料の公費負担は,ようやくにして実現しているが,大学・高専,専門学校など高等教育にかかる大きな学費は個人負担であり,奨学金も「返還義務」が課されている。他のどの国で奨学金に利子をつけて返還を迫る制度があるのか,官僚・政治家の皆さんにはぜひ教えて頂きたいものである。
 次世代の若者を育てることは,社会人すべての責任であり,経済社会の最大の課題である。しっかりとした基礎学力と意欲があれば,いつでも大学や専門学校で学ぶことができる経済保障を整える必要がある。せめて国公立大学の学費を高等学校と同じ水準に引き下げ,奨学金は「給与」として充実すべきである。
 もちろん,大学,専門学校といった教育機関の責任も大きい。しかし,国立大学の教職員の給与は約10%引き下げられている。優れた研究者がこの国の大学・研究機関から流出している。給与を下げられた教職員の1人として,学生が支払う学費の総額と,学部経費の総額を比較してみたら,学費の総額が上回ることがわかった。少なくとも神戸大学経済学部,経済学研究科の学生・院生は,支払った学費に相当する教育・研究支援を受けていない。これが財務省と文科省の支配を受ける国立大学の現状である。

2013年2月24日日曜日

2013年2月フィリピンでの調査

 2013年2月13日から23日の延11日間の調査旅行を実施しました。学生参加者は男子5名,女子4名,総勢10名のツアーです。
 今回のツアーの日程はJa-DHRRAのホームページで紹介しています。

 1986年フィリピンでは「エドサ革命」が起こりました。当時のマルコス独裁政権を倒して,アキノ政権ができます。このエドサ革命が後の1989年から始まる東欧革命にも影響をもたらしたとも言われています。
 たとえば,Civil Society(市民社会)という言葉が,昨今,市民の声を反映する社会運動の目標として位置づけられています。かつて,市民社会といえば,マルクスが使った言葉で,ブルジョア社会(Bürgerliche Gesellschaft)が,資本制経済社会を批判するニュアンスをもっていたのに,今ではCSO(市民社会組織)が「あるべき姿」として描かれています。NGO(非政府組織)の増大と,市民社会という言葉の使い方の変化も,フィリピンでの社会運動が影響を与えてきたと思われます。
 フィリピンでは,1987年の新憲法において「市民活動(NGO)を重要な担い手として認める」条文が盛り込まれました。この頃からNGOが雨後の竹の子のように設立され続け,公式に登録されているNGO,PO(市民組織)は5万団体を超えます。
 フィリピンのNGO活動は,国連の政策にも影響をもたらし,とくに東南アジアでのNGOのネットワーク構築にも大きな役割をはたしてきました。

 今回の調査目的は,(1)農村でのNGOによる農業開発事業の内容と,その成果を確かめること,(2)都市スラムの再開発事業に取り組むNGOの活動内容と,その成果の確認,(3)各地域のNGOと,これを束ねるNGO,そして,CSOの関係を調べること,とくに財政面での関係にも注意を払いました。

 (1) ミンドロ島の農村で環境保護,有機農業への啓発とその普及に成果を上げている Jon Carlos Bandoy Sarmientoさん(通称:ジャンジャンさん)のトレーニングセンターに3日間,滞在しました。
 ジャンジャンさんは,41歳。高校を卒業しただけですが,その後,実践のための知識,技能,技術を独学で学び,農業に関連する科学,薬草を使う伝統的医療技術から,法律,経済,コミュニティ・リーダーとしての実践知まで,実に多彩な勉強を重ねて,今日,ミンドロ島ビクトリー市の農民団体のリーダーとなっています。
 0.5ヘクタールの農地に,稲をはじめ果物まで多種多様な作物が植えられています。日本でも最近,始められている「循環型農法」として,さまざまな作物を混ぜて植え,防虫剤を使わずに害虫被害を防ぐ方法が実践されています。また,生活排水を浄化する「ため池」が作られ,そこに浄化作用のある水草が植られています。合鴨農法,豚や鶏の飼育とその糞を発酵させた有機肥料の製造などがあります。一見すると雑然とした農地が,実は,確かな秩序をもって計画的に作られているわけです。
 
 有機農法は高くつく,採算が合わない?
 3回生の西崎君のこの質問に,ジャンジャンさんは自ら有機肥料を作ることで化学肥料や農薬の購入費が節約され,付加価値のある作物がより安く生産できる「可能性,見通し」があること,環境保護の観点からも行政が支援すべき取り組みであることなどを説明してくれました。
 しかし,私自身の経験からは,農薬を使わない分,人的作業が膨大になりますので,「規模の経済」が成り立ちません。大変な労力をかけられる小規模農家でしか実践できません。その点では,「より安く」の生産は不可能です。
 観光農園,教育農園としての価値は高いので,その点を生かした,たとえば「農家民宿」を兼ねて行けば,小規模農家でも一定の所得につながる見通しはあります。

 多種多様なソーシャルビジネスの展開
 ビクトリー市では,ジャンジャンさんのイニシアティブによって,さまざまなビジネスが展開されています。①農家の協同組合,②行政,③民間事業者の3者が連携することで,農作物を加工,流通,販売して,付加価値の高い事業へと結びつけているのです。ハチミツ,ワイン,カラマンシー・ジュースなどが生産されています。それらすべてが有機栽培された作物ですが,そのために価格も高くなります。市販されている一般の商品よりも高い値段です。だから,流通販売においても,より多くの人の「理解」が不可欠とのことでした。
 「日本で購入してくれるなら,海外への出荷もします」と,ビクトリア市の市長も宣伝に熱心です。

 中国資本による環境破壊
 ビクトリア市には,ニッケル鉱床があります。今,中国資本が大地主から権益を購入して,鉱山の開発を進めようとしています。私たちの滞在中,ジャンジャンさんの携帯電話が何度も鳴り響きました。鉱山の場所で「土砂崩れで?,3名の命が奪われた」,鉱山開発に反対する周辺農民が「殺された」,たまたまの事故なのか,それとも見せしめに殺されたのか,部外者のわれわれには真偽のほどはわかりませんが,「開発を歌った」農地の収奪に反対する人が,今も殺されています。
  


この竹橋を渡らないと農園には入れません。
ジャンジャンさんによれば,これが暗殺されないためのセキュリティシステム。

ジャンジャンさん,PAKISAMA(農民NGO)のリーダーの1人

トレーニングセンターの前で記念撮影

(2)都市スラムの再開発事業
 私たちは,スラムの再開発事業に取り組む,UPA(Urban Poor Association)と共に,マニラ湾周辺にひしめくスラム3か所と,かつてのスモーキーマウンテンを体験訪問しました。
 UPAだけではなく,実にたくさんの各専門NGO団体が,都市スラムの改善事業に互に連携しながら取り組んでいます。
 マニラ市だけで70万人を超える人が貧困コミュニティに居住していますが,彼らは不法占拠者(スクワッター)です。
 NGOはスラムの人びとに「居住権利」を認め,水道,電気の引き込み,さまざまなソーシャルエンタープライズの提案と実践,貯蓄の啓発事業,そして,政府と連携した住宅建設によるスラムからの移住を最大の目標として取り組んでいます。
 しかし,政府機構のなかには,マニラ湾の経済活用を急ぐために,スラムの強制撤去を唱える人びともいます。私たちは,3つの貧困コミュニティを訪問する予定でした。1つ目のコミュニティを視察していた時,NGOの電話が鳴り「火災が起こっている」と言います。昨年も「放火」による焼き払いがあった,そんな話の矢先のことです。

悪臭を放つどぶ川の両脇にひしめくバラック

一軒当たりの広さはこの程度

ゴミ処理場(ダンプサイト)のスラムでは子供らがゴミをあさる。

廃材を焼いて「炭」を作るために,煙が蔓延。



3番目の訪問予定地が火災に,3名死亡,150世帯が焼け出された。

(3)NGO,CSOの組織構造と連携ネットワークについては,フィリピンのコードNGOをはじめ,PHILSA(フィルサ)などのコアNGOで訪問調査を行いました。
 その内容についてはここでは省略します。

 もし,ご興味のある方がいらっしゃいましたら,メールでご連絡ください。
 後日,論文として整理したものをお送りいたします。