2014年4月8日、兵庫県姫路市香寺町の「香寺ハーブガーデン」に伺いました。ハーブに関心のある人にお勧めです。ハーブを栽培し、エキスを抽出して、エッセンシャルオイル、石鹸,シャンプーはもちろん、肌荒れ対策、ニキビ対策、がん治療など、さまざまな用途に効能があるハーブ製品があります。
これから香寺町の北に隣接する「夢前町山之内地区」でハーブの栽培と加工を通じた「むらおこし」に取り組まれるとのこと。今回はこの舞台での協力を求められて伺いました。
大学生はもちろん、皆さんにも、ハーブ栽培、ハーブティーのブレンドなどで「特産品」を作ってみたい人がいらっしゃればご連絡ください。
2014年4月8日火曜日
2014年4月7日月曜日
ASABANプロジェクト 作品展
2014年4月10日まで、ASABANプロジェクトの個展が開かれています。
テーマは「リネンのある暮らし展」
場所;西宮市 ギャラリーストラッセ Straße
テーマは「リネンのある暮らし展」
場所;西宮市 ギャラリーストラッセ Straße
青山修子さんのセンスで企画されたリネンを使ったウェディングドレス、
これはいずれ藍染されて、下のワンピースからエプロンにまで変身します。
ASABANの定番商品となった靴下や布巾、ハンカチも販売
こうした商品が東京で新しいブランドになりつつあるとのことです。
多可町八千代区で始めた、「亜麻の有機栽培」も今年で2年目。
亜麻の収穫、脱穀(種をとります)、乾燥、繊維の取り出しまで、
すべて手作業で行っています。
5月25日(日)午前9時から午後3時
「亜麻の花祭」にもお越しください。
その翌週には「亜麻の収穫」を行います。
2014年4月3日木曜日
夢前町山之内への一人旅
2014年4月3日、夢前町山之内へ参りました。
多可町八千代区で地域連携事業の一環として、ASABANプロジェクトのお手伝いをしています。兵庫県での「元気交流会」で知り合った、香寺ハーブガーデンの福岡氏の依頼により、夢前町でも「亜麻の栽培」事業に取り組めるかどうかを見るために、ひとり半日の旅に出たわけです。
ここには、雪彦(せっぴこ)山があります。今日は、雪彦温泉に入り、昼食に夢乃蕎麦を頂いて、雪彦山へ登りました。
多可町八千代区で地域連携事業の一環として、ASABANプロジェクトのお手伝いをしています。兵庫県での「元気交流会」で知り合った、香寺ハーブガーデンの福岡氏の依頼により、夢前町でも「亜麻の栽培」事業に取り組めるかどうかを見るために、ひとり半日の旅に出たわけです。
ここには、雪彦(せっぴこ)山があります。今日は、雪彦温泉に入り、昼食に夢乃蕎麦を頂いて、雪彦山へ登りました。
雪彦温泉は小さな温泉ですが、露天風呂もあります。
午前中に、私一人で「貸切状態」でした。
雪彦温泉の前は3000平米以上の広さの芝生。
賀野神社の紅桜が満開
山之内地区は、まさに山中、谷筋に集落が点在する地域です。アユの釣り場が数か所あり、釣り好きの人には、これから夏にかけて魅力的な山村です。
雪彦さんは壮観な岩山が魅力であり、登山者のための登山口には、山小屋、ロッジが立ち並んでいます。
さて、第1回目の下見はこの程度です。
私が地域を観察する最初の訪問では、1人であちらこちらへ足を運んで、全体を見渡し、その空気を肌で感じることから始めます。今回の度も、のんびりと地域を拝見しました。
2014年2月15日土曜日
神戸大学経済学部 藤岡ゼミ研究発表会
2014年2月11日(火)、毎年、建国記念日に開催している、研究発表会が無事に行えました。
卒業生、学外からも15名も参加していただき、それぞれの方から「現場からのコメント」をいただけましたこと、深く御礼申し上げます。
3回生論文からは、最先端の経済社会問題を取り上げた研究成果が多数ありました。今後の研究が楽しみです。
4回生の卒業研究でも、2年間の努力の成果が示され、卒業研究は全員合格です。
卒業生、学外からも15名も参加していただき、それぞれの方から「現場からのコメント」をいただけましたこと、深く御礼申し上げます。
3回生論文からは、最先端の経済社会問題を取り上げた研究成果が多数ありました。今後の研究が楽しみです。
4回生の卒業研究でも、2年間の努力の成果が示され、卒業研究は全員合格です。
2014年1月12日日曜日
姫路城「天空の白鷺」
2014年1月11日(土)、学生時代からの友人と姫路駅に待ち合わせて、「天空の白鷺」を見学。
あと数日、1月15日で、この見学はできなくなる。修繕が完了した見事な天守閣を目の前で鑑賞することができる最後のチャンスに出かけた。
友人は、カメラに凝っている。姫路城に入ると、どんどんシャッターを切っていた。「何を撮っているのだろう」「よほどカメラ撮影が好きなのだ」と、私も愛用のニコンD7000を構えては、撮影を始めた。
「にの門」の破風(はふ)上に残る十字紋瓦。そのいわれは、黒田官兵衛がクリスチャンだったからと説明を受けたが、事実は「謎」だそうだ。
今回は、久しぶりにゆっくりとした1日を送るために、のんびりと出かけた。天候にも恵まれ、冬空でも日差しの暖かさを感じることができた。
あと数日、1月15日で、この見学はできなくなる。修繕が完了した見事な天守閣を目の前で鑑賞することができる最後のチャンスに出かけた。
友人は、カメラに凝っている。姫路城に入ると、どんどんシャッターを切っていた。「何を撮っているのだろう」「よほどカメラ撮影が好きなのだ」と、私も愛用のニコンD7000を構えては、撮影を始めた。
黒田官兵衛の残した十字紋瓦 |
「にの門」の破風(はふ)上に残る十字紋瓦。そのいわれは、黒田官兵衛がクリスチャンだったからと説明を受けたが、事実は「謎」だそうだ。
今回は、久しぶりにゆっくりとした1日を送るために、のんびりと出かけた。天候にも恵まれ、冬空でも日差しの暖かさを感じることができた。
2013年8月1日木曜日
「キューポラのある街」(1962年:浦山桐郎監督,吉永小百合)
2013年7月30日,インターネットで偶然,この映画と再会した。
名作「キューポラのある街」は,鋳物工場の街を舞台に,貧しい鋳物職人の長女,ジュン(中学3年生:吉永小百合)を主人公として,彼女の県立高校進学への憧れと現実の生活困難を描いている。ジュンの弟と朝鮮人の友達の悪ふざけ,「牛乳泥棒のシーン」でも,貧しい者同士の悲哀が描かれ,この時代に生まれ育った1人としてほろ苦い懐かしさを感じる。さて,ここでは久しぶりに「キューポラのある街」を観ながら,21世紀の今の時代に,私が改めて考えさせられたことを綴ってみたい。
映画が公開された1962年に,私は生まれ,高度経済成長の時期を通じて育ってきた。だから,ここに描かれている出来事や生活感は,自分自身の体験とも重なっている。この貧しい時代を子どもの頃に多少とも経験したので,映画の生活風景には懐かしさを覚えるわけである。同時に,ここに描かれている生活から育まれた,当時の人間観,社会観についても,身体の芯の部分でその切なさを感じとれる気がする。
主人公の父親は「古いタイプの職人」であったが,古い鋳物工場の淘汰と共に失業し,酒とバクチで堕落する。しかし,映画の終盤では,労働組合の支援により「金属労働者の1人」として再就職がかなうことになる。こうした浮き沈みの変化が避けられない時代であったし,それは「近代化・産業化の理(ことわり)」でもある。
そして,「キューポラのある街」は,近代化・産業化の進展にともなう厳しい生活の変化と,お互いに助け合い,支えあうための労働組合の大切さを伝えている。労働組合の目的は,同じ立場の者同士が協力して,とくに雇主との鍔迫り合いのなかで,「自分たちの仕事と生活を守るための『正義』を権利として獲得すること」にある。
つまり,この映画には,労働者の仕事と生活を守るために組合に参加することの意味。それこそが「働く仲間の社会的前進」に結びつくという思想が根底に据えられている。しかし,現実には,労働者の間にも「厳しい競争」がある。高度な技術,高い能力を身につけることで,安定した地位と,より高い所得を獲得すること,「個人的な利益」を追求することも生きるための「したたかな戦略」である。だから,労働者にとって,同じ境遇の「仲間との連帯,助け合い」と,自らの「個人的な利益」のどちらを優先するかは重要な人生選択となる。通常は,仲間を配慮するような余裕はなく,自分のことで精一杯の労働に疲れ果てるケースの方が多い。ましてや,いつの時代の若者にとっても,まずは自分自身の才能と可能性を試したいと考えて,より高い能力の獲得(県立高校)へと突っ走るのが自然であろう。
しかし,「キューポラのある街」の結論部分では,こうした葛藤には触れることはなく,主人公は中学を卒業後には「紡績工場への就職」を決意する。このとき,彼女は担任教師の励ましの言葉を唱えている。
「1人が5歩前進するよりも,10人が1歩ずつ前進する方がいい」,つまり,紡績工場で多くの女工たちと一緒に働き,夜間高校に通い,「仲間」と歩む決意がここに込められている。こうした1960年代の世相が作り上げた,この映画そのものが,大衆的な理想像となったのである。そして,ここから,この映画が1970年代までの労働組合運動,社会運動のプロバガンダとされてきた意味も分かる。
だが,現実の市場経済では,その「正反対の力学」が作用してきた。つまり,世間一般には「1人が5歩前進する」ことが目指されてきた。これを良心的に解釈するならば,「未来の10人の生活を改善するために」,自らが1人の優れた人材として成功することの方が「確実で,現実的だ」という感覚であり,その根底には,「故郷に錦を飾る」という日本人的な野心もあるだろう。
例えば,家族の中から出世頭を育てることができれば,家族全体がその恩恵に預かることができるかもしれない。そして,日本では,高度経済成長期を通じて「学歴社会」が形成されてきた。もちろん,大学卒業の学歴を得たところで,必ずしも「成功」とはいえないが,せめて自分の子どもや孫の世代には,より豊かになるチャンスが生まれるかもしれない。そうした淡い期待を背景に,学歴社会をめぐる受験競争が広がってきたのではないだろうか。
例えば,家族の中から出世頭を育てることができれば,家族全体がその恩恵に預かることができるかもしれない。そして,日本では,高度経済成長期を通じて「学歴社会」が形成されてきた。もちろん,大学卒業の学歴を得たところで,必ずしも「成功」とはいえないが,せめて自分の子どもや孫の世代には,より豊かになるチャンスが生まれるかもしれない。そうした淡い期待を背景に,学歴社会をめぐる受験競争が広がってきたのではないだろうか。
「キューポラのある街」ではこのような展開は描かれてはいないが,1970年代から80年代には,「学歴格差」が「経済格差」として観察されてくる。「製造業を支える労働者」と,「営業職,管理職の椅子に座る大学卒」との経済格差が実感される中で,高等教育の内容も「工業科,商業科」などの専門職教育から「普通科」への転換が急速に進んできた。
少し結論を急ぐことになるが,21世紀初頭に,約半数の若者が大学に進学する時代となると,もはや大学卒の学歴は,労働市場での優位性を証明することに役立たなくなった。「こんなはずではなかった,何のために高い学費を払ってきたのだ」という親子共々の挫折,落胆,失望が広がりつつある時代になってしまったのである。ちなみに,2012年の大卒,55万9千人のうち就職も進学もしていない若者は8万6千人にのぼる。
かかる意味合いを考えつつ,再び「キューポラのある街」のメッセージを思い出したい。
「1人が5歩前進するよりも,10人が1歩ずつ前進する方がいい」
「豊かさ」とは何かを見つめ直しながら,この言葉の意味を今一度考えてみる必要があるのではないだろうか。
2013年7月31日水曜日
兵庫県香美町(小代区)のまちづくり調査
2013年7月28日に,兵庫県香美町にゼミ学生4名を同伴して訪問調査を実施した。今回の調査旅行には,(1)農産物の加工・販売を通じた農業の「6次産業化」による地域振興への効果を研究する院生と,(2)地域の若年者の雇用創出につながる事業振興について研究する院生も同伴している。
訪問調査の前に,香美町の人口動態と産業統計から,ここ数年の変化を把握してみた。まず,香美町の人口は,平成22年現在,19,696人であり,過去10年余りにわたって毎年200~300人以上の人口減少が続いている。世帯数も毎年150~180世帯の減少が見られ,平成22年現在で6,449世帯となっている。人口動態の内容を見ても,「自然的動態(出生と死亡)」「社会的動態(転入・転出)」ともに平成12年以降マイナスが続いている。
兵庫県下にある多自然地域の中でも,香美町では,人口減少と高齢化(65歳以上人口:31.9%)が急速に進み,平成12年頃からさらに加速度的に人口減少が進んでいる。これには産業構造の変化が大きく影響していることから,今回の訪問調査では,次の3つの視点を踏まえてヒアリングを行う方針を立てた。
1.第1次,第2次産業の急速な衰退
香美町の産業別就業者数の推移を見ると,この20年余りの間に第1次産業の就業者数は,2,853人から1,108人へ半数以下となった。なかでも農業の就業者数は半数以下に減少している。(平成2年:2,853人⇒平成22年:1,108人),漁業も約半数(641人⇒315人)。林業は平成22年時点で53名と,過去10年に変化がない。
より重要な変化は,第2次産業,わけても「製造業」の衰退である。平成2年の3,398人から平成22年には1,828人へと1,570人も減少している。
2.第3次産業:観光事業の頭打ち
海と山の豊かな自然に恵まれた香美町には,年間の観光者数が130万人にのぼる。しかし,これまで安定していた観光事業もここ数年は頭打ちの状況にある。第3次産業の町内総生産は,平成14年に494億円から,平成21年には469億円と徐々に低下してきている。
3.但馬牛の繁殖雌牛
香美町では,繁殖雌牛の飼育事業が多いが,肉牛としての肥育も行われている。農家戸数は減少傾向であるが,飼育頭数はここ数年で1,200頭を超えて増加傾向にある。
「道の駅」
7月28日(日)午前7時に多可町八千代区を出発。9時20分,「道の駅:ハチ北」に到着,農産物の直売ならび土産物を見ながら,店の方に地域の農業についてお尋ねした。
農作物の直売には,この時間帯にいろいろな夏野菜が持ち込まれてきた。日曜日ともあって,トマト,なすび,キュウリからキャベツ,ジャガイモなど,新鮮で形の良いものが非常に安い価格で並べられている。
お土産物として地域の特産物を探してみると,とちのみを使った饅頭やお菓子の類などの品数は豊富である。ただし,お菓子の多くは,材料を四国や姫路など関西圏の食品加工業者に委託して加工しているものが少なくない。
地元で製造された商品として目を引いたのは,美方製麺所のそば,常盤商事株式会社の醤油とお酢などの発酵食品,「へしこ」,香美町村岡区の「野いちごグループ」による「矢田川みそ」である。
「村岡ファームガーデン」(道の駅)にも立ち寄った。但馬牛の精肉店とレストラン,土産物を視察させて頂いた。が,残念ながら,但馬牛そのものが世界最高級の牛肉であるとしても,牛肉饅頭,但馬牛の時雨煮,カレーやラーメンなどの価格帯は高すぎるとの印象を受ける。レストランのメニューも残念ながら食欲を誘うようなものではなく,ただ「やはり但馬牛は高価なのだ」という印象である。また,さまざまな加工食品には,販売者として「株式会社むらおか振興公社」の表示があるが,地元で加工されたものかどうかは判らなかった。
われわれは,午前9時40分頃に香美町小代区にある温泉「オジロン」に到着した。
旧美方町の上田節郎町長,漁協の井口護氏,博士後期課程の吉田さんのお母様,そして,料理旅館からスッポン・チョウザメの養殖まで手掛ける邊見八郎氏に,香美町小代区のまちづくりについてお話を聞くことができた。
上田畜産の牛舎を見学
「日本の棚田100選」にふさわしい景色
滝見亭で山菜・川魚料理を御馳走になりました。
アマゴの刺身,アユの塩焼きは最高。
邊見さんのチョウザメ
「小代区の地場産業」
豊岡市を中心として,この地域は「鞄」の製造業が盛んな地域である。香美町小代区(旧美方町)にも,かつてはカバンの縫製業の下請け工場がたくさんあった。が,この20年余りの間に衰退したのは,この縫製業であるという。土木建築業もバブルの崩壊後に大幅に事業が縮小し,これらに代わる製造業が育っていないために,香美町の第2次産業の雇用が著しく減少したわけである。
1981年から三井金属工業が「真珠岩パーライト(鉱物)」の本格的な採掘を始めている。このパーライトの採掘と運搬にかかわる雇用が生まれている。素人の発想であるが,真珠岩パーライトは建築用材料から洗剤まで多様な用途に加工利用が可能であり,そうした加工製品を製造する事業を立ち上げることも可能ではないかと思われる。しかし,現時点ではそうした構想はないという。
「スッポンとチョウザメ」
邊見八郎氏は,小代区でスッポンの養殖と,チョウザメの養殖も事業化に取り組んでいる,実にバイタリティあふれる実業家である。スッポンは30数年の実績を重ねて,すでに香美町小代区のベンチャービジネスの成功事例である。邊見氏は,チョウザメからフレッシュ・キャビアを採取し,さらにチョウザメの醤油を開発するなど,常に新たな事業化に挑戦されている。
チョウザメは「淡水」でも養殖ができる,摩訶不思議な「古代魚」である。その卵は塩漬けにされて,世界の珍味「キャビア」となる。
今回の調査訪問で,私は初めてチョウザメの養殖をみることができた。現在,邊見氏の養殖場では,約500匹のチョウザメが養殖されている。ただし,チョウザメの養殖期間は10年以上におよぶため,これを雇用拡大につながるような事業にするには,現在の規模の数倍から十数倍の設備が必要である。
というのは,養殖事業の人員についても,現在の規模では,邊見社長と手馴れた人が2,3人いるだけで,スッポンとチョウザメの両方の世話をみることができている。今後,養殖事業を「地域の雇用創出」に結びつけるには,今の規模の数倍,少なくとも数千匹のスッポンを養殖する設備と,スッポン関連商品の開発,加工施設の整備まで,一連の事業化が必要である。いずれも一朝一夕に実現できるものではない。
ただし,邊見氏の目下の事業は,料理旅館「大平山荘」の経営の一環として取り組まれている。但馬牛のしゃぶしゃぶに加えて,スッポン,チョウザメの料理は,料理旅館としての魅力をアピールするために十分な効果を発揮しているわけである。
これからの課題
今回の調査を通じて,香美町が直面している人口減少問題は,第2次産業の衰退による影響が大きく,工業,加工・製造業の衰退がダイレクトに人口減少につながっていることが分かった。観光業を中心とする第3次産業も一定の所得効果をもつが,香美町小代区は山間部に位置していて,今は,スキー場と温泉施設があるだけである。
ただし,われわれはまだ具体的なまちづくりの施策や今後の可能性を検討するだけの調査を実施できてない。小代区で年間を通じて集客力を高める観光事業を開発すること,チョウザメやスッポンに関連する加工業を育てることなど,まだ検討すべき課題がある。何よりも香美町小代区の自然の豊かさは見事なものである。棚田は「日本の棚田100選」に選ばれる素晴らしい景観を作りだしている。山と川の魅力を活かす事業ができるのではないか。農業の6次産業化,林業の活性化,また,増えつつある「空き家」を滞在施設として活用するなど,政策的に取り組むべき課題もある。次回には,これからの課題を検討するための調査を実施する予定である。
[1] 木伏雅彦(2009):「但馬牛増頭を目指した、繁殖経営指導について」『び~ふキャトル: 国産肉用牛生産の情報誌15号』,全国肉用牛振興基金協会編,p.6-10。平成19年10月には地域団体商標として「神戸ビーフ」「神戸肉」「神戸牛」「但馬牛」「但馬ビーフ」が登録される。
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