2011年5月8日日曜日

ポーランドへの旅

 4月30日,午前9時30分,ベルリン中央駅からポーランド,クラクフ行きの列車に乗りました。予定到着時刻は夕方の5時ごろ。この1本しかクラクフに行く列車はありませんでした。
 10時間を超える長い,長い列車の旅を選んだのは,第2次大戦中,ドイツからアウシュビッツ,ビルケナウ収容所へ移送されたユダヤ人たちは,同じ線路を貨車に立ったまま乗せられ,10時間から数日かけて移送されたと書かれていたからです。
 10時間を超える列車の旅は,たとえ座席に座っていても疲れます。
 そして,最初は満席であったのに,どんどん空席が目立ちはじめ,カトヴィツェKatowice)につくころにはほとんどの席が空いています。われわれは,徐々に不安になり,車掌や隣の席のおばさんにホテルまでの経路を尋ねました。というのも,われわれのホテルはクラクフからさらに50キロ東のBochnia(ボクニア)という町にあるからです。
 しかし,ドイツ語も,英語も通じない。おばさんも車掌もポーランド語しかだめだと言います。地図を見せても相手が何を言っているのか,さっぱりわからないのです。
 そして,隣のおばさんが,ほかの乗客にわれわれのことを話してくれました。偶然,ポーランドのドイツ語の先生が列車に乗っていたのです。この方が,リザードさん(Herr Ryszard )でした。リザードさんはクラクフでボクニアへのチケット購入も手伝ってくださり,20時過ぎにボクニア行の列車に乗りました。私のドイツ語について後日,メールで次のように書いて下さいました。
 Die deutsche Sprache hat Ihnen dabei nur wenig gestört. Es freut mich, dass Sie von meinen Landsleuten Hilfe erhalten haben, so wie es sich gehört. Sie haben jetzt ein rundes Bild von meinem Land (= Kultur) und Leuten (= Moral).
 

 そして,われわれは次の列車でクラクフ経済大学の学生と出会いました。
 私が乗り越さないように「ボクニア,ボクニア,ボクニア,…」とつぶやいていたときに,バーテック君が声をかけてくれたのです。彼は英語が達者な経済学部の学生で,ドイツ語はだめだけれど,英語なら大丈夫だと言って,自分も実家へ帰る途中で,実家がボクニアにあるからホテルまで案内してあげる,という展開になりました。
 さらに,彼は40分の列車のなかで,私たちの旅の目的がアウシュビッツ,ビルケナウ収容所の見学にあることを聴いて,クラクフの素敵な町も見てほしい,明日,私が案内しましょう,とガイドを引き受けてくれたのです。
 こうして,当初,2泊3日の予定が,3泊4日になりました。
  左から2番目がバーテック君,右端はバーテック君の弟
  クラクフの名所を案内してもらいました。
  ポーランド独立記念日の2日前,クラクフで前ローマ教皇パウロ2世を偲ぶ式典がありました。パウロ2世はこのクラクフの出身者であり,市民からものすごく親しまれ,敬愛されています。バーテック君のおじいさんが直接お会いしてお話ししたそうです。このエピソードが家族の大きな名誉として語られました。

  ドイツ人を倒したポーランドの王様と下で死んでいるドイツ人。ドイツ人への印象は,はっきり言って良くありません。アウシュビッツ,ビルケナウ収容所では被害者の3割がポーランド人です。バーテック君のおじいさん,おじさん,おばさんの3人もアウシュビッツにいたのです。それ以前にも,1000年前からドイツに攻め込まれ,占領される歴史があるため,ドイツ人への感情はけっして良いものではないのです。ただ,EU統合の過程で,ドイツから多くの仕事がきたり,EUの補助金で高速道路が次々に整備されているため,ドイツとの新たな関係には期待しているとのことです。
 ポーランド人のあこがれはむしろ「日本」です。「日本のように暮らしが豊かで文化を大事にする社会を作りたい」と皆が思っていると聞きました。逆に,嫌われているのが「中国人」,彼らは「ずるい,意地汚い,なんでもむさぼっていく,経済的利益に貪欲なだけの連中だ」と,何人かの人から聞きました。
 バーテック君のおかげで昼食はポーランド料理を楽しみ,クラクフの町を散策し,ポーランドの歴史や文化,とくに倫理的な感性について深い話ができたことが嬉しかったですね。クラクフ経済大学の特待生(学費免除の優等生)だそうですが,経済学の古典,アダム・スミスからリカード,マルサス,新古典派,マルクス経済学,ケインズ経済学,さらにM.ウェーバーまで読みこなしているとい大変優秀な学生です。そして,敬虔なカトリック信者であり,カトリックの考え方と生き方を身をもって示してくれました。私が繰り返しお礼を言うと,「私たちは誰かの役に立ってはじめて神様から認められるのです」と言ってくれました。
 
 

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